雲路の果て | ナノ 16




名前が鎹鴉から伝えられた指令を聞き、現場に向かいがてら途中で合流した水柱・冨岡義勇と共に向かったのは、草木が生い茂る山。
そこまで広くもなく、高さもないそれは、この近くに住む人々がよく山菜や木の実、そして花を採りに訪れる場所だと、道すがらに聞いた。

今回の任務は少しばかり、特殊だった。
今までは単純な鬼の討伐が主な目的だったが、先程鎹鴉が二人に伝えたのは『偵察』

この山で、行方がわからない人間が出るようになったのは数ヶ月前。
最初は事故にあったのか、それとも神隠しにあったのか、まことしやかに囁かれていたが、行方不明だった者がフラリと山から下りてきたかと思えば、数日も持つことなく、すぐに事切れた。

死ぬ前に皆
「身体が痺れたかと思えば、いきなり動けなくなった」
口々にそう言っていたという。

もう一つ、不可解な事はその多くが死に至る程に失血していたが、これといった外傷はなかったという事。

鬼を見たという情報はなかったが、念の為隠が何度か偵察に向かうも何事もなく帰ってきた。
しかし、これ以上の犠牲を出さぬよう、産屋敷は柱と甲(きのえ)の隊士を『偵察隊』として派遣させる事に決めたのが、今回の概況だ。

その為、まだ陽が差している内にこの山へ訪れる必要があった。
姿は見えなくとも、気配を感じる事は出来、人を喰っていれば何かしらその痕跡も見つかる。
鬼が此処に住んでいる確証が持てれば、大々的に鬼殺隊が動けるからだ。

静かに足を踏み入れれば、生い茂った木々によって薄暗くなる視界。
鬼が身を潜ませるのには丁度いい場所だと、ふと思った。

「…まず東から西へ向かう」

義勇が静かに出した言葉に名前は黙って頷いた。


雲路の



進めど進めど、そこは何の変哲もない山。
気配どころか、痕跡ひとつ見つからない。
本当に、此処に鬼がいるのだろうか。
流石に疑問を持ち始め、足を止めると振り返った。
「少し休憩しよう」
「…うん」
恐らく一刻はゆうに歩き続けている。
疲れているわけではないが、ひとまず近場の川べりの石場へ腰掛ける名前に、距離をとりつつ義勇も腰を下ろした。

「…ふぅ」
小さく息を吐いてから持参した竹水筒に口をつける姿を無意識に目で追う。
途端に視線が合ったかと思えば
「義勇も飲む?」
差し出されたそれに顔を逸らした。
「いい」
素っ気なく答えたのは、完全に意識をしてしまったからだ。

あの夜の事もきっと未だに何が起きたのか理解していないだろう。
ずっと言わなければいけないと思っていた事は伝えられたし、伝わっているとは思う。
『好きだ』その一言以外は。
言えばどんな顔をするのだろうか。
ずっと存在をなかった事にしてきておいて、今更だと義勇自身でも思うが、名前の事だ。気持ちを伝えた所で罵りはしないだろう。
だけど、受け入れて貰えるとは到底思えない。
名前にとっては、狭霧山で一緒に育った仲間。
そこから先に進もうとする事によって、やっと取り戻せたこの距離をまた失うなら、あの頃の、あの時間のまま、立ち止まったままで、何も言わない方が良い。

「これまでに鬼の気配を感じたか?」
意識を違う方向に集中させるためそう訊ねれば
「…ううん、全然」
小さく首を横に振る。

違和感がない訳ではない。
此処が普通の場所ではないと、名前の何かが告げている。
けれど何も、目に見える確証がない。

狙われた人々に何か条件があるのか、それとも何かきっかけになるものがあるのか。

「…どうして隠の人達は無事だったんだろう…?」
その言葉でつられるように考える。

隠である人間は無事だった。
何事もなかったと言う。
襲われたであろうと仮定した人々は、此処で何を、していた?

「……あ」

小さく声を上げた名前と同じくして、義勇もそれに気付く。
「…擬態か」
「そうだよね、きっと!」
最初から、答えはそこにあった。
この山は山菜や木の実、そして花を採りに訪れる場所だと、村の人間が言っていた。

山菜めがけ日輪刀を振るう義勇と、木になっている実を剣先で軽く刺す名前。
何も起こらない事を確認してから最後に残った名もわからぬ白い花。
それはこの山へ来てから、至る所に咲いていた。
擬態と言ったのは一つの仮定。
もしこの花々に鬼が根を張るように生きていたとしたら?
血鬼術を使う以上、その可能性は完全に否定出来ない。

「俺がやる」
振るったばかりの日輪刀を構える義勇を、右手で制止した。
「大丈夫」
それはとても、優しくも強い決意に満ちた笑顔。
何を優先すべきか、どの命を守るか、常に死と隣り合わせである鬼殺隊、剣士としての、名前の覚悟だ。

返事の代わりに、柄を握る手に力を込める義勇に安心して、呼吸を整えるとその花に手を伸ばす。
それは名前が触れるより先に、細い糸状に形を変えると真っ直ぐに向かってきた。
後ろへ飛びながらそれを避けた直後、義勇の刀がそれを切断した。

同時に、ある顔が脳裏に浮かぶ。
成田蜘蛛山で頸を斬った下弦の伍。

これはあの糸ではない。
しかし匂いが、あの時嗅いだものに限りなく近かった。
炭治郎ほど鼻が利く訳ではないが、あの山全体を包んでいた匂いは、今でも覚えている。

まさか、生き残りが居た?

考えるよりも速く、それは地面からキリがなく放出されていく。
義勇、名前ともに、型を出してそれを刻んでいくが、肝心の鬼の場所がわからない。
攻撃されているのに一切の気配がしない。

弐ノ型 群雲(むらくも)で斬ったかと思えば、切断面がクルクルと渦になり、名前の足の甲を突き刺した。
同時にピンと張ったそれが、右耳に触れる。
反射的にそれを斬ってから気付いた。

(…何…何か今、聞こえた。一瞬……声…?)

しかしそれも、
「名前!」
自分を呼ぶ声に我に返る。

「義勇!今…」
言う前にその右肩に背負われたかと思えば、糸状の攻撃に上手く避けるように走り出す姿。

「義勇!?」
「一度戻る」
「何で!?」
「鬼の気配が掴めない。このまま戦い続けても消耗するだけだ」

義勇の速力で、あの糸状のものが追ってこない所まで来た所で声を掛けた。
「義勇!私も走れるから!」
「………」
それでも尚、頑なに抱え続ける義勇に話を続ける。
「わかった事があるの!多分…」
「もう喋らないでいい。絶対に全集中の呼吸を止めるな。いいな!?」
「………」
その逼迫した声に驚きながらも名前は言う通りに全集中の呼吸を繰り返した。

* * *

「ふむふむ。そういう事ですね」

診察室で名前の右足の甲に負った傷を観察しながら、胡蝶しのぶは納得したように言葉を出した。
「確かに毒は入っているようです。鬼の姿が把握出来ない状況で、退却を選んだ冨岡さんの判断は正しかったと言えますね」
若干離れた所で壁に寄りかかる義勇を横目に、しのぶは「少し痛いですよ?」と前置きしてから注射器を名前の足に射した。
「正直…微量過ぎて、これが何の毒なのかはっきりとは私にもわかりません。それに似た解毒薬は作りましたが…、しかし中には人間の細胞に入る事によって初めて効果を現す毒もたくさんありますし、数日様子を見てみない事には何とも…」
一度言葉を切って続ける。
「とりあえず入院ですね」
にっこりと微笑うしのぶに、名前は驚いたように目を見開いた。
「…あの!しのぶさん!」
「入院です」
「でも…!わかった事が」
「入院です」
段々と額に青筋を立て始める表情に
「…はい」
小さく返事をするしかなかった。


アオイ達の手伝いを経て、ベッドに横たわる名前が落ち着いた頃、姿を見せた義勇に少なからず安心する。

ベッドの傍らに立ったままの姿に
「座らないの?」
そう声を掛ければ、
「次の任務に呼ばれている」
いつもの口調で呟く姿に驚いた。
「じゃあ、早く行かなきゃ…!」
それでも自分を見つめるその表情が、心なしか心配そうで
「…ごめん、ね。義勇が助けてくれたから、大丈夫」
安心してもらえるよう、今出来る限りの笑顔で言った。

「ありがとう」

少しは安堵したのか義勇は小さく溜め息を吐いてから
「…また来る。無理はするな」
そう言い残し、去っていった。


Worry
そんな顔をしないで

[ 16/91 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
[back]
×